おやすみ日常

眠るように暮らしたい

抜け出た

この前、父に「最近学校どう?」と聞かれた時に、

「楽しいよ」と答えていた。驚いた。

親に自分が苦しむ姿を見せたくないという多少の強がりがあるにしても。

常時気持ちど底辺野郎のわたしが。

 

 

研修会で同期に会った時に「元気!?」とあいさつされた時も、

「ねえうつ病完治した!!!!!」と答えていた。驚いた。

しかも自分の口角が上がっているのを感じた。

いやあいさつで口角下がっているやつとか嫌だけど。

 

 

そういう返事ができたことに自分が一番びっくりしてここ最近の生活を振り返ってみると、そういえば出勤や退勤で、アクセル踏みしめて橋から落ちようとか、踏切でうっかり電車に轢かれたいとか思わなくなったなーと思った。

車や更衣室やトイレで、涙が出るほど気持ちが高ぶることもなくなった。

(あったことが怖いわ)(がんばってたね、一生けんめいだね)

 

 

そりゃもちろん、まだ腹立たしいこともたくさんある。

発達段階で考えたら当たり前なのだけれど、周りのことを考えもせずに自分勝手にふるまったり、大人から見たら些細とも思えるようなことでキレたりする子と対峙していると、くらくらしそうになる。

どーーーーーーーーーでもいいことで怒鳴りあっている二人の間で仲介している時に、意識が宇宙に飛んでいる時もある。

 

 

でも、以前より、子どもの発言でゲラゲラ笑ったり、頑張りに励まされたりすることが増え、前向きに生きている実感があることは確かだ。

 

 

何がそうさせているのかな~と考えた時にいくつか要因が浮かんだ

・熱中できるゲームができた(楽しさでいうと『自分がゲームをする>>>ゲーム実況を観る』と感じると分かった時には、嬉しかった)

・職場に後輩が入ってきた(職場でタメ口で話したり気軽にご飯に行けたりする相手がいるのは大きい。あと、新人へのヘイトが分散される、ごめん、笑)

・整体に行くようになった(洗脳されると悪いから向こうの人の話は半信半疑で聞いているのだけれど、血流が良くなることは自律神経にも良くて気持ちも安定すると言われた。どこまで効果があるのかは知らん)

 

 

ただ、最近の心の安定は、「ずっとこの職業でオッケーです!!わたし、いけます!!!」と覚悟を決めたわけではなく、たまたまこの職場で、たまたまこの人間関係で、たまたまこのクラスで、だから成り立っているものだということも分かっている。

 

 

この前会った友だちが「うちの学校のベテランの先生、『このクラス持ち上がりさせられるなら辞めますって校長に言う。』って言ってたよ。」って言ってたよ。そうなんです。わたしも去年そう思ってました。毎年毎年が本当に一期一会であるし、すでに荒れている高学年なんかは、力のある先生でさえ困憊してしまうものなのだ。だって、自分の言うことを聞かない、あるいは反発してくるような子どもたちと、朝から晩まで一緒にいることが一年間続くんだよ。気が狂うでしょ。

 

そういう「危うさ」と隣り合わせの職業なのだ。

 

 

でもまあ、「死にたい」って感情が脳内で渦巻いていた少し前の人生よりは楽しいです。今思うと鬱の一歩手前だったんじゃないかって思うけど、食欲めちゃくちゃあったし、眠れなかったことないし、分からないですね。

 

沼の底みたいなところから抜け出ることができて、良かったです。

新入社員とか、新採用の先生とか、マジで今地獄だなって思ってる人にも

いつか光が射すといいなって心から思います。

 

ずっと声をあげて泣きたかった。

 

 

18連勤してるからなのかもしれないし

会うたび指摘しかしてこない人の存在のせいかもしれないし

意識の高い人たちの研修団体に無理やり入れられそうになってるからかもしれないし

お礼状を書けないまま平日を幾日も過ごしてしまったからかもしれないし

 

 

でも今日は決定的なものがあり

(無知故のわたしのミスなのだが)

ボスに心底呆れた顔をされて、

学校にいる間も帰ってきてからも

その顔が何遍も思い出されて

堪らなくなった

 

いつもなら一人でだってゲラゲラ笑えるし

「暗い部屋に帰るのが辛い」と嘆く後輩に

笑いながら突っ込めるほどなのに

今はまったくもって何を支えにしたらいいのかわからない

 

小学生は、疲れてるだけで不機嫌になって周りにあたるんだけれども

今のわたしの状態もそれだといいなぁ

ただの身体の疲れであれ

 

ほむほむ

 

その昔、男の子に「枕に対して枕カバーが全然足りてないじゃん」と言われたことがあり、そうだよなあと思いつつもそのまま暮らし、数年が経った。

 

この間ニトリで枕全部を包むタイプのカバーを買ってきた。カバーが足りなくてもどかしい、という気持ちはなくなった。

 

 

でもきっと、枕カバー関連のことで、笑いながらいちゃもんを付けられたなということは忘れないのかなとぼんやりと思う。

 

普段は昨日の行動すら忘れるわたしであるが、中にはそんなふうにずっと覚えている言葉もある。

 

 

 

「今まで会った女の子の中で一番面白いよ」

 

 

わたしの人生の中で一番、言われて嬉しかった言葉である。

 

 

女の子、女の子、女の子。

面白い、面白い。

 

(言われたい言葉のオンパレードだ!)

 

 

その後言った人の心は移ろったとしても、その時はそうだったのだという事実が、誰かに一番面白いと思われた嬉しさが、たまにひょっこり現れて、勇気付けてくれる。

 

自分の記憶一つが頼りの、実体のないものなのに、時空を越えていろんな気持ちを含んで運んできてくれるから、言葉はすごい。

 

 

 

穂村弘さんのエッセイを読んで、改めて「言葉」が大好きだなぁと思いながら

 

コミュニケーション

昨年末に、ホテルで職場の忘年会があった。

スキー授業の下見も兼ねていたため、次の日は職場の人たちとスキーをした。(響きがバブル)(いやバブルしらんけども)

 

その時、親子のように何度も校長先生とリフトに乗った。いろいろな話をした。校長先生はお話をするのが大好きな人なので、わたしは聞き役に徹して質問をたくさん考え、たくさん投げかけた。この時に嬉しいことが起きた。校長先生に「質問がうまいね!」と褒めてもらったのだ。

 

その時、今まで力を入れてきたことの成果が形になって現れた気がした。

 

 

というのも。わたしは、いつからか、自分のことを話すのが下手であることを自覚していた。世間一般の女の子のように時系列に沿って出来事を話していくことができないし(大体、出来事を覚えてられない)、友だちと話をしていて「エピソードトーク下手かwwwww」と笑われたこともある。 話すことではどう頑張っても頂点を目指すことはできないと悟った。

でも、コミュニケーションは、「話す」と「聞く」が大部分を占めている。話すのが下手で、どうやって人と会話を楽しもうか。コミュニケーションをとろうか。

 

そこでわたしは、よい聞き手を目指そうと思った。

相手のことを知ろうとすること、興味をもつこと、質問をすること。

 

そうしているうちに、先輩とも同輩とも後輩ともおばあさんとも子どもとも、「どうしよう」と思わずにコミュニケーションがとれるようになった。

 

その甲斐あって、校長先生とも楽しくお話ができて、さらに褒めてもらえて、心の内では(へへ‥‥一応良い聞き手を目指してますからね‥‥)とにやりとしていた。ということなのである。

 

 

稀に弊害もある。良い聞き手を目指していると、友だちと楽しく話しているようで、実は自分の話が一切できなかったな、聞かれなかったな、と悲しみのような虚無感のようなものを抱きながら帰路につくことがあるのだ。

 

だが、そんなわたしでも、自分のエピソードトークが自然と出てくる相手がいる。こんなに話し下手なのに、けらけらと笑ってくれる。それが本当にうれしい。その人たちには「良い聞き手勝負」で負けてんだろうな、と思いながらも、へぼなわたしの話を興味深く聞いてくれることにしみじみと感謝するのである。

先生

 

 

23歳になっても、まだまだ、「人生初めての○○」がたくさんある。

昨日は地元の友だちと四人で「人生初めてのスノボ」に行ってきた。

 

とはいえ、わたし以外の三人は経験者である。大丈夫かな‥‥とビクつきつつも、楽しくスキー場へと向かう。この時は大分余裕があった。わたしはスキーならブイブイいわせられるほど滑れるし、頭の中ではスノボを乗りこなすイメージができていたからだ。

 

スキー場に到着し、板をレンタルし、やったるでと意気込みながらゲレンデに降りる。小雪かもしれないという心配は当たり、滑走可能なコースは少なくなっていたが、雪質は良かった。初心者には全く問題のない環境だった。

 

 

初めて、板をつける。ガシャンとはめるだけのスキーとは違って、なかなかつけるのに時間がかかるスノボ。手間取る。

さてようやく履けたとなると、次に襲いかかってくる難題がリフトである。乗り場まで乗って行くのも至難の技だし(どうしたって左へ左へと進んでしまう!)、リフトから降りてススーッと滑るのも初心者にとっては困難を極める。何度も何度も無様な姿を世間に晒した。

 

 

今回のメンバー、全員経験者といったが、その中でもスノボに通い詰めている一人の男の子の技術は目を見張るものがあった。あまりにもわたしができないので、彼が先生になって教えてくれた。

左足を下にして板をまっすぐにし、スピードがついて怖くなったら右足で踏ん張り斜面に平行になり止まる。これをまず繰り返した。怖がりながらも、これはできるようになった。でも、これだけではスノボができたことにはならない。こちらの動作が表だとしたら、裏の動作(斜面を背にして右足で踏ん張ること) もできなければいけない。伝わるだろうか、この表現。自信がないので読者の想像力に委ねたい。

 

それを聞いて、少し先生の目から離れたところで練習し始めた。斜面を背にして踏ん張るのは本当に怖い。というかまず斜面を背にすることができない。少し間違えれば頭からひっくり返るだろうなという恐怖が、わたしをチキン野郎にさせた。

 

 

案の定その予感は当たり、一人で練習していたわたしは気が付いたら頭をごちーんと打っていた。(ああ‥‥お父さんがヘルメット付けなさいと言ったのに約束破ってごめんなさい)(やばい、ここで脳しんとう起こしたらマジで笑えねえ)(いたい)(いたい)(こわい)(死んだ)

 

 

結果からいうと死にはしなかった。しかし、すぐには立ち上がれないほどの心の痛みを折った。(こわい‥‥やめたい‥‥今すぐにでもスキーに履き替えたい‥‥スキーならばこんな坂すぐに‥‥でもわたしの足についてるのはスノボ‥‥そもそも両足が一つの板に固定されるってなんだよ‥‥危なすぎだろ‥‥あんなにやりたがっていたのに今はこんなに憎い存在になるなんて情けねえ‥‥)と様々な感情が押し寄せたが、下で三人が待っていると思うとそうゆっくりもしていられなかった。半泣きで坂をくだる。ほとんどお尻で滑ってきたかもしれない。それくらい怖かった。

 

心がぽっきり折れたわたしはリフトで話す元気さえなくなってぼーっとしていた。「恐怖心が勝ってる!!!」とゲラゲラ笑われても、ふっと笑い返すことしかできなくなったわたしを見かねてか、先生が付きっきりで教えてくれた。わたしの課題である、裏スタートで足を踏ん張らせる練習が始まった。正直、もうできなくてもいいよ!!怖いから帰りたい!!という気持ちだったが、先生の真剣さと「練習するぞ!がんばれ!」という前向きな言葉によって、強引ではあるが気持ちが奮い立たせられた(いやお前のための先生なのに何言ってんだ)。

 

さて後ろ向きで踏ん張ってみたものの、踏ん張りが聞かず小鹿のようになってしまう。いくらただの友だちとはいえ、男の子に小鹿姿を見せるのは恥ずかしい。羞恥心と寒さと恐怖心が一気に襲いかかる。何回か繰り返すと、この感覚か、と掴みつつある自分に気が付いた。たしかその次の次のリフト後に、ようやく裏でも踏ん張れるようになった。やっと楽しさがでてきた。できるようになって、二回滑ったところで時間がきてしまった。

 

 

今思えば、経験者が下で待っているというほどよいプレッシャーがスパルタ教育的に、滑り続けられる理由になった。初心者×初心者 で練習していたとしたら、心が折れた者同士で「ちょっとコーヒー飲んで休憩しよっか~」となっていたに違いない。実際、一人で休憩しようか悩んだほどである。

 

そして、滑れるようになった理由のもうひとつに先生の素晴らしさがある。自分はガンガンに滑れるのに、拙い練習に付き合ってくれて本当に優しいなと思った。先生はわたしがどんなに下手くそでも笑わずに、「バランス感覚あるね!」「大丈夫!」と励まし続けてくれた。先生の言葉の力と前向きな姿勢は本当に有り難く、できない者にとって大きな推進力になるのだと判った。滑る意欲を保たせてくれた先生に大感謝である。見習いたいものだなぁと思った。

 

 余談だが、遠い昔、彼はわたしにとって初恋の人だった。幼稚園生だったわたしの目に狂いはなかったのだなと、誇らしい気持ちになった。頼りがいのある男性に育っていて、嬉しい限りである。

 

 

できないままであったら、スノボに嫌なイメージを抱いたままスキー場を後にしていたと思う。

だが、滑れるようになった最後には、さながら、ハンター試験時のキルアになった気分だった。(HUNTER×HUNTERという少年漫画に出てくる、スケボーを乗りこなすかっこいい男の子)

あとで友だちが撮ってくれた動画を観た時、そのイメージとは程遠い自分の姿に愕然としたが、それでもいい。またスノボをしたい、もっと上手になりたい、と思いながらにこにこで帰路についた、充実した初スノボ体験であった。

結婚

 

 

みなさんに結婚願望はあるだろうか。

わたしは、ある。

 

 

何故なのかは分からない。結局は、人類の大きな流れに巻き込まれ、子孫を残したいという本質的な部分に基づいた考えなのだと思う。

 

普段他人の子どもと接していると、自分の子どもだったらこんなことができるのに、と思うことが沢山ある。他人の子どもをぎゅっと抱きしめてあげることはできないし、一緒にディズニーランドに行ったり、お布団にくるまって添い寝したりすることもできない。それができたらどんなにいいだろうと考えてしまう。

 

もちろん子どもだけでなくて、生涯を添い遂げてくれる旦那さんがいたら、それはそれは幸せなことだと思う。

 

 

恋人を作るというのは容易なことではない。前提として、恋人を目指して仲良くなるというのは、なんだか少し違う気がしている。仲良しで、親友で、たまたまそれが異性だったから。こんな流れがわたしは理想だなと思う。(今後の人生で、そんなことはありえるだろうか?)

 

でも。一緒にいてゲラゲラと笑える人と結婚できないのなら。ずっと一人でいたほうがいいなと思う。だって、ご飯に行ったり旅行に行ったりできる気の合う友だちがたくさんいるから。十分幸せに思える。

 

 

だが、もし、わたしの人生を豊かにしてくれる人たちが「結婚」してしまったとしたら。30歳の先輩が「年末は何も予定を入れなかった。」と言っていた。それは、あと数年で多くの友だちが誰かのお嫁さんになってしまうということを示唆しているのではないか。それはまずい。まずい。

 

 

 

考えてみたら、わたしの友だちの多くは彼氏がいて、とても安定していて、楽しそうである。お嫁さんに行く日もそう遠くないのだなと思う。

 

友だちと、お金も時間も気にせず会えるのは、若いうちだけなのかなぁと思って寂しくなってしまった。

 

 

それなら‥‥‥‥わたしだって結婚したいやい。

職業の覗き見

 

小学校の先生をしているとたまに、社会科見学に行く機会が訪れる。子どもの頃の見学といえばそれはもちろん楽しかったが(見学内容がどうこうというより探検バッグを手にバスに乗ることに魅力を感じていたのかもしれない)、大人になってから仕事現場を見せていただくのも、乙なものがある。

 

さて今日は、着物作りの工程の中でも機織りの部分を担う、伝統工芸士さんの元へと出かけた。これまでの人生で、まったく見ることのなかった場面である。

 

工房にお邪魔すると、品のよいご年配の女性が出迎えてくれた。

 

木の温もり溢るる機織り機が工房に2台。鶴が恩返し時に使うアレである。かっこいい。

 

ご年配の女性が老眼鏡をかけ、機織り機に座る。手元を照すオレンジの電球。かっこいい。

 

この時点でわりと、(うわぁ‥‥伝統工芸士なりてえ‥‥)と切に思った。

 

 

「1日7時間織ります。それを半年続けて一つの着物が出来上がるんです。」

 

(うわぁ‥‥1日中ひとりで作業していいのか‥‥伝統工芸士‥‥)

 

「仕事をしていて大変じゃないんですか?」

「『楽しい』しかありません。」

 

(伝統工芸士!!!!!!!)

 

 

しかししかししかし。この女性は商品ではなく作品を作っているのだという。

(ん?)と思いながら帰り道、一緒に見学に行った先生に「商売ではないのだとしたら、あの方はどうやって生計を立てているんですかね?」と聞いたら、「旦那さんが社長なのよ。あの機織り機、相当維持費がかかるそうよ~。」と返された。

 

お金持ちの遊戯かよ!!!少しでも転職したいと思ったわたしが馬鹿だったわ!!!完!!!!

 

と思ったのでした。

 

 

 

それでも、機織りに魅力を感じたのは事実。子どもたちが先に出たあと「機織り、やってみたいと思いました!!」と熱い想いをお伝えしたら、「わたしの息子も先生やってるのよ。また遊びにいらしてね。」と、これまた上品なお言葉を頂いたのでした。う~ん、伝統工芸士になりたい。